諸行無常

去年の3月、一冊の本が自分の居場所になっていた。

頭の中の考えが絶えず続き、あまりにも遠くまで行ってしまった時、人に流れて軸を失ってしまった時、なんの理由もなく大変な1日を過ごした時、その本を読むと「今、ここ」に戻ることができた。他のいつかでも、他のどこかでもなく、今、この本を読んでいる私として。いつもその本を持ち歩いた。ある詩人が書いた、愛についてのエッセイだった。

非常に残念だが、その本がいつまでも居場所になってくれたわけではない。だとして、他の本が代わりになってくれたわけでもない。

読書がまるで人生のオアシスのようで、本さえ読めればなんでも大丈夫、と心の底から思う時期があるとしたら、本を読むべきだとは思うけど、なんだかんだ読まずに何週間も経ってしまう時期がある。居場所どころか、買ったのに読んでもない本に本棚が埋もれて居心地が悪くなる。

一貫性のある人になりたい。いや、だから、ずっと本を読める人として生きたい。居場所になってくれなくても、読書が素晴らしい理由はたくさんある。でも無理だ。何年間、何回も繰り返した「読める時期」と「読めない時期」の反復でわかった。読めない時は読めない。

嬉しいことに、読める時はまた来るのだ。読めない時がまた来るように。