映画「もののけ姫」、音楽「もののけ姫」

 はりつめた弓の/ふるえる弦よ/月の光にざわめくおまえの心

この曲が流れるシーンは、アシタカがモロの洞窟で呪いに苦しみながら目覚めるシーンである。つまり、焦点が当てられているのはアシタカだ。歌詞には「はりつめた弓」や「ふるえる弦」などの表現があるが、映画で最も弓を使うのはアシタカである。タタリ神を撃ち殺し呪いを得たのも、その呪いの力で数々の人間を殺したのも弓である。

 とぎすまされた/刃の美しい/そのきっさきによく似たそなたの横顔

これは誰に対する歌詞なのか?多分サンである。「刃の美しい」で思い浮かぶ登場人物は何人かいるのだが、「そなたの横顔」という歌詞で私たちはそれが「サン」であることを確信できる。あの有名なセリフ、「生きろ、そなたは美しい」というのはサンがアシタカに言われたのだ。それ以外「そなた」と呼ばれる人物はいない。

 悲しみと怒りにひそむ/まことの心を知るは/森の精もののけ達だけ/もののけ達だけ

これも多分、サンのことだろう。「悲しみと怒り」を持つ人物は多いが、その心を「もののけ達だけ」が知るとしたら、サンの心だ。そもそも「もののけ」という存在と会話ができる(映画の中で会話をしたことがある)のは、サンとアシタカだけだ。しかし、アシタカの心を知るのが「もののけ達だけ」とは言えない。人間ともののけ両方とも心を交わす存在がアシタカだ。

もう一度、この曲が映画で登場するシーンを見てみよう。歌詞が終わった後も演奏(とハミング)は続くのだが、その上でモロとアシタカの会話が交わされる。
サンは人間だと言うアシタカに、モロは「人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ」サンをお前が救えるかと怒鳴る。「ともに生きる」と答えるアシタカに「サンと共に人間と戦うのか」とモロは聞く。「それでは憎しみを増やすだけ」だとアシタカは答えるが、「もうお前には何もできない」と言うモロの言葉で、会話は終わる。

まるで歌詞のように、サンの「まことの心」を知るのはもののけ(モロ)だけで、アシタカには何ができるのかわからない(そもそも呪いで死ぬかどうかの)状況を描いている。しかし、映画はまだ終わらない。

映画が終わるのは、猪やモロ達と人間が戦い、タタラ場と侍が戦い、エボシがシシ神の頭を撃ち落とし、タタラ場と森が滅んでからだ。その最後にサンとアシタカはシシ神の頭を戻す。シシ神は死んでしまうが、森に少しの緑を生えさせ、アシタカの呪いを消してくれる。

映画は「生きろ」と言う。どう生きるかというと、「共に」だ。

「共に生きる」ことで、最も難解な存在が「もののけ姫」、つまりサンである。人間に捨てられ、山犬として育てられたが、人間にも山犬にもなれない存在だ。それがよくわかるのはモロとアシタカの会話シーンであり、その中で流れてくる曲「もののけ姫」でもある。だが、最後にはその「もののけ姫」も共に生きることにする。アシタカはタタラ場で、サンは森で生きていく。アシタカは「会いにいくよ、ヤックルに乗って」と言う。2人が「共に生きる」方法だ。

エンドロールの始め、一緒に流れる曲も「もののけ姫」だ。観客は再び「もののけ姫」の歌詞を聞く。なんとか共に生きていくのだろうとは思うけど、歌詞は相変わらず切ない。物語は終わったが、音楽はそこに残って歌う、「まことの心を知るのはもののけ達だけ」だと。