「夏と冬、どっちが好き?」
おそらく誰もが一度は聞かれたことのある質問だろう。
冷たいアイスが食べたくなってくる夏、こたつでぬくぬくと暮らす冬。答えはその日の気分や記憶によって変化する。
けれどもし、「一生どちらかの季節で過ごすしかない」と言われたら、どうするか。もしくは、この “どっちを選ぶか” が、ただの好みではなく、あなたの生き方を映す選択だったとしたら──。
ありえない状況を想像して、自分の考えを試してみる。
これは思考実験と呼ばれるもので、現実には起こらないけれど考えることで自分の中の判断基準が見えてくる。
頭の中でできる小さな実験室で実験していこう。
選べない選択に向き合う
思考実験で有名な問題がある。
あなたは線路の切り替えレバーの前に立っている。すると、制御できないトロッコが向こうからやってくる。そのトロッコが進む先には5人の作業員がいて、このままだと5人を轢き殺してしまう。しかし、レバーを引いて線路が切り替わればその先には1人の作業員がいてその人が犠牲になってしまう。進行方向を変えることは自分しかできない。あなたはレバーを引くかどうか。
これはトロッコ問題という思考実験だ。
レバーを引けば5人の命が救われる。その代わりに本来死ぬことのなかった1人の命が失われてしまう。逆にレバーを引かなければ5人の命は失われ1人の命が救われる。あなたはこのレバーを引くのだろうか。
最大多数の最大幸福を考える功利主義で捉えれば、「レバーを引くべき」だと考えるだろう。4人分の幸福が失われないという考え方である。
しかしこのレバーを引くのは自分自身だ。自らの手によって他人の命を奪うという行為は本来死ぬはずのない人を殺すことと同義であるだろう。これは倫理に反するため、レバーを引かないという選択は倫理を大事にする義務論に基づく。
あなたはどちらの選択をしただろうか。
私は結論が出ない。いっそのことトロッコがレールの分岐点に来た瞬間にレバーを引いてトロッコを止めようだとか考えたけれども、それは思考実験ではない。おそらく、レバーを引かないだろうと考えるが、これがもし5人の人が全員知人で1人が見知らぬ人ならレバーを引いてしまうかもしれない。
状況によっても変化する思考の中で私は一体何を持って考えるのだろうか。
もう一つ、似たような思考実験を紹介しよう。
臓器移植を待つ患者はたくさんいるものの、臓器提供をしてくれる人はなかなかいない社会があったとする。
そこで、定期的にくじ引きをして、健康な全国民の中から臓器提供者を1人選ぶ社会制度「臓器くじ制度」ができた。
くじ引きで選ばれた人は、臓器すべてを提供することになる。
その人は臓器を提供することで死んでしまうが、人の臓器を分配することで、最低でも5人も患者を救うことができる。
また、臓器くじには公平に行うために下記のルールが存在する。
①くじに不正行為は絶対に起こりえない
②移植手術は必ず成功し、5人は絶対に助かる
③人工臓器や死体移植など、くじ引き以外の臓器提供方法は無い
くじは完全に平等に行われるため、地位や権力、知名度、年齢を問わず、誰もが当たる可能性がある。
また拒否権はなく、選ばれた人は臓器移植を待つ人のために犠牲にならなくてはいけない。
1人の犠牲により多くの患者が助かる。この「臓器くじ制度」は正しい制度なのか。
先程のトロッコ問題と似たような問題ではあるが、条件が細かく設定されている。そして、トロッコ問題では自分自身は5人側にも1人側にもならないが、今回の臓器くじ制度は自分が臓器提供する人にくじで選ばれるかもしれないし、逆に提供される人側になることがあるかもしれない。
同じ功利主義と義務論のどちらかを選ぶ問題。なのに状況によってあなたの思考は変わるのだろうか。
ぜひこの制度について考えてみてほしい。