本屋が恋しくて帰りたくなるとは思ってもなかった。母国の本屋がある生活に戻りたい。ここでの生活を諦めてしまうかもしれないと思うぐらい。
日本にも素敵な本屋がたくさんある。京都の一乗寺には独立系書店の「恵文社」がある。50年の歴史を感じる外装、少し暗くて暖かい内装、生活雑貨や文具を売ったり、展示が開かれたりする。何よりも「売れる」本だけではなく、繊細な好みで選ばれた本が置かれている。
それは、むしろ辛いことだ。恵文社のような本屋に行って本の表紙を読んでいると、いろんな本たちが「読んでみる?」と話しかけてくる。もちろん読んでみる。読んで悔しくなる。
最初に私を苦しめるのは縦書きだ。「言語」ではなく、文字をどの方向に並べるかが、一番ひどい文化の違いだ。文字を上から下へ読もうとすると目が追いついてくれない。比喩するとしたら、本を逆に持って読むのと似たような感覚だ。「読む」ことに方向がこれほど大事だとは。
もちろん言語の問題もある。本を読んでいると知らない漢字が出てくる。「読む」ことができない。だから、この言葉がどんな発音を持つのか知らない。スマホをとって、ロックを解除して、翻訳アプリを開いて、画面に漢字を書いて、やっと言葉の発音と意味を知ってから本に目を移すと、読んでいた文章を見つけられず迷う。そうしてでも日本語で書かれた(縦で書かれた)本を読む時はあるが、いい本であればあるほど邪魔されずに読みたくなる。
日本でも母国の本を買う方法はある。電子書籍は何冊か読んでみたが、慣れない。紙の本は一冊ごとに700円から1000円の送料がかかる。何よりネットで本を買うと読んでみることができない。試し読みを読んでみるとか、レビューを探してみるとか、作家や出版社が出した他の本を見てみることは、実物の本を開いて読んでみることには比較にならない。
今すぐにでも母国に戻って本屋に行き、気になるあの本を手にとって読んでみたくなる。心に響く本があれば一冊ぐらい買ってしまうだろうと恋しく思う。本屋が恋しくて帰りたくなるとは思ってもなかったが、それでも帰ることはない。今は日本での生活に根ざしている。いつか本当に本屋が恋しくて帰るのかなーと想像しながら笑うだけだ。