私は本を読むのが好きである。それは本が私にたくさんの知識や表現を教えてくれるから。でも、それだけの理由ではない。私は昔、本を「読むしかなかった」。
1つ目の「読むしかなかった」理由は、言葉そのまんまの意味である。
ここで私の本にまつわる話をしよう。我が家には参考書や勉強の本以外の本は数えられるほどしか持っていない。その理由が、「親から本を読むことを禁止されている」からだ。なぜ禁止になったのか、それは小学校の時の私に原因がある。私は当時、直近で地震があったことででこぼこしていた道をよくこけていた。その原因が本である。私は登下校中よく本を読みながら帰っている子供だった。今も変わらないのだが、歩く時間ほど退屈な時間はない。今は、スマートフォンで音楽を聴きながら歩いたりするため退屈ではないが、小学生の頃はそんなもの学校に持ってきてはいけないし、友達と帰るのもあまり好きではなかった。そこで、本を読みながら帰宅をしていたのだ。危ないことは分かっているが、本を読まないでただ家まで歩き続けるのは苦痛だった。
禁止の理由はそれだけではない。他にもやることがなければすぐ本を読み、やることができた時には本の続きが気になって読み続ける。そんな生活をしていたらいつの間にか本が禁止になっていた。結局国語の教科書を読んでいたため反省はしていなかったが……。
つまるところ、私にとって暇で退屈な時間を埋めるために本を読んでいたのだ。
もうひとつ、本を「読むしかなかった」理由がある。理解能力の限界だ。今はあまりそう感じることがなくなったのだが、昔は映像とセリフが一致せずに話の内容を理解することが難しかった。そのため、アニメや映画などはほとんど見ずに、その小説版で内容を理解していた。周りとの会話でアニメや映画の話が出てきたらその本の内容を話す、原作があれば、「原作はこうなんだよ」とか言って話の種にする。そうやってコミュ障の私はなんとか周りとの話をあわせていた。アニメや映画のあらすじを理解するため、周りとの話についていくため「本を読むしかなかった」のだ。
今は、ネットを自由に扱えるようになり、退屈な時間も減ったため、本を読む機会もぐんと減ったが、本を読むしかない状況が作れるの時は絶対に読んでいる。ついこの間、飛行機に乗った際、スマートフォンは機内モードにするため動画を事前にダウンロードするなりしなければいけないが、そんなことするくらいなら本を読む。行きと帰りで2時間の時間で十分に読めるし、最初は「本を読むしかなかった」といえど、やっぱり本を読むこと自体が好きなのだ。