俺的バイブル

本を読むことは自分の生き方を見つめるきっかけになるのではないかと感じる。その本に書かれていることや、その本の中に生きる人間たちの生き方や考え方に感銘を受けて、影響を受ける。これこそが読書の真髄だろう。

本といえば私には二つ思い出のある作品がある。
一つ目は『珈琲店タレーランの事件簿』という推理小説シリーズだ。
本作は京都の一角に佇む喫茶店タレーランのバリスタ切間美星と主人公アオヤマが、日常に潜む謎を解き明かすミステリー小説だ。「このミステリーがすごい大賞」の隠し玉として出版されたこの小説だが、ミステリー以外の描写が兎に角巧みだった。
特にシリーズ一作目に出てくる話「盤上チェイス」では訳あって追われる身となったアオヤマが京都を逃げ回る描写が出てきたり、シリーズ内ではさまざまな京都の地名が出てきたりなど、一貫して京都であることが魅力となっている作品だ。
この小説に出てくる京都を眺めていると、とても魅力的な街だと感じ中学生の私は京都に住みたいと感じて、京都にある大学に進学を決めたのだ。

二つ目の作品が『ツァラトゥストラはこう語った』である。これはドイツ・プロイセン王国の思想家ニーチェの著書だ。
この小説は私に哲学という概念、そしてニーチェの語る虚無主義を教えてくれた本だ。
この本は主人公を通してニーチェ哲学の隅々を知ることのできる作品で、今まで私の中に実体がないように感じていた「哲学」と言うジャンルに体を与えてくれた作品だろう。
ここから、僕はニーチェ哲学の魅力にハマり、ニーチェという哲学者を追いかけるようになった。
哲学はその人の生きる道を示してくれる学問で、私のバイブルとなった本だろう。

今思えば、文字という記号の羅列で人生を形作れるというのはとても不思議なことだ。しかし、本という半永久的に記録として残る文字として読めることで、人の声とは違った感じ取り方を冷静に分析することができるのかなと考えている。
本を読めば、自分の経験にプラスアルファしてさまざまな生き方を広げることができるのではないだろうか。
本を読んでいない人も、一度ピンときた本を少しでも読んでみればその本が与える影響を感じ取って、本が好きになっていくのではないだろうか。