日本人の原風景としての“プレジブリ”

 スタジオジブリが設立されたのは1985年6月だが、その前身に相当する会社、トップクラフト時代を含めると53年の歴史を数える。初期ジブリのイメージが強い『風の谷のナウシカ』の公開も、1972年に立ち上げられ、最終的にジブリへと改組されたそのトップクラフト時代の終盤である1984年。宮崎駿監督の長編第2作目だった『ナウシカ』自体、鈴木敏夫がプロデュース、久石譲が音楽を担当するなど、ジブリ作品の主たる座組みがこの時点でほぼ揃っていた。ジブリより前に、既にジブリらしさができあがっていたことになる。
 ジブリ前から完成されていたその「ジブリらしさ」には、明確な方向性があり、ハッキリそれとわかる絵柄があった。それは、今や誰もが認識している、「柔らかく厚みのある木や森や草花、暖かみとある種の可愛らしさのある人物、まるで魂が宿っているような機械や建造物」という描写に尽きるわけだが、さらに暖色系の色調、時には手描きのラインが残るような抜け感によって、画面全体が呼吸をしているような仕上がりになっている。それはもちろん、ディズニーや手塚治虫のアニメーションへのシンパシー、継承を感じさせるものであり、“アニメを超えたアニメ”を目指していた彼らの指標がごく初期からかなり高く設定されていたことを窺わせるものだ。トップクラフト時代に制作、もしくは共同制作した作品には、テレビアニメの『タイムボカン』や『一発貫太くん』といったタツノコプロがメインで制作した作品の原動画を担当したものがあり、それらの絵柄にはその後の「ジブリらしさ」が確実に感じられる。
 だが、柔らかで暖色系の色調や温かみと愛らしさのある人物像、絵柄の風合いと、歴史に根ざしたある種の空想を孕んだストーリー展開といった特徴が早くも結実していた“プレジブリ作品”は、1979年公開の『ルパン三世 カリオストロの城』に他ならないだろう。宮崎駿の劇場映画初監督作品であること、それより前に放映されていたテレビアニメ・シリーズや、劇場映画第1作である『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年)とは明らかに絵柄が異なることから、公開当時は私も少し抵抗があったが(そもそもその頃まだ宮崎駿は今のような巨匠ではなかったし、私もまだ中1だったのでアニメ事情には明るくなかった)、逆に言えば宮崎による作画に既に大きな特徴がハッキリあった、ということでもあるのだろう。そして、その宮崎のカラーが絵柄面における「ジブリらしさ」の柱の一つになっていると言っても過言ではない。何しろ、モンキー・パンチ(原作)による漫画やごく初期のテレビアニメでは、シャープな顔つきで、少しダークでもあったルパン三世自身の顔つきも、『カリオストロの城』では柔和で柔らかな表情に大きくシフトしていたし、なによりヒロインのクラリスの愛らしさが際立っていた。もちろん、この変化は、宮崎のみならず、高畑勲、小田部羊一らとのワンチームによる成果であることはいうまでもない。
 宮崎らは『カリオストロの城』以前に東映からAプロダクションに移籍した70年代前半に『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『母をたずねて三千里』といった人気テレビアニメを手掛けている。こうした作品の持つ柔らかな色調の画面、フレンドリーな風合いのキャラクター、大自然をふんだんに生かした場面設定などはのちのジブリ作品の礎になっており、これらのアニメを当時それとは知らずに見ていた世代は、気づかぬうちにジブリのカラーが記憶の中に刷り込まれていたということになるだろう。そしてそれは、単なるアニメーションとしてではなく、高度経済成長時代以降に脈々と受け継がれてきた日本人の原風景に他ならないのではないかと思うのだ。(岡村詩野)