早速1つ目の思考実験から。
昔、テセウス王が怪物ミノタウロスを倒すために船に乗って向かった。無事倒して帰還したテセウスの功績を讃えるために、テセウスが冒険に使った船を後世まで受け継がれることとなる。
しかし、テセウスの船は老朽化が進んでいたので、少しずつ新しい部品と入れ替えて修復していった。
そして長い年月が経ったある時、船大工はあることに気づいた。「このテセウスの船、元の部品が一つも残っていない」と。
全ての部品が新しく置き換えられたこの船は、果たしてテセウスの船と言えるだろうか?
今回の問題をざっくり言うと、これは同じものなのか。
……少しざっくり言い過ぎたかもしれない。
ようは、テセウスの船として残してきたものなのに、テセウスが実際に共に旅した船のパーツはひとつも残っていない。その船をテセウスの船と呼んでもいいものなのか。
この問題に関して私は、テセウスの船として認めてもいいのではないかと考える。なぜなら、ひとつパーツを入れ替えた状態の船をテセウスの船として認めるなら、それが繰り返されただけである。また、人間に置き換えて考えてみると私の意見はさらに近くなる。今の私には生まれた当時の細胞が残っているのかと言われると残っていないだろう。それでも私は私だ。
しかし、この問題には続きがある。
もし、老朽化して入れ替えた古いパーツだけを使って新たな船を造ったらそれはテセウスの船なのか。
……そうなるとテセウスの船たらしめるものがなんなのかわからなくなってくる。
それもテセウスの船と言えるのか。あなたはどう考えるだろう。
こう言う問題をパラドックス/逆説と言うのだが、似たようなパラドックスに「スワンプマン」という思考実験がある。
ある男が、不運にも沼のそばで突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐそばの沼へと落ちた。
なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。
沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
このスワンプマンと死んだ男は同一人物であると言えるのか、というのが問題である。
先ほどのテセウスの船における私の意見に倣うなら、このスワンプマンは死んだ男と同一人物だということになる……のか。ここでふと私は考えた。
将来もっとAIが発達して、自分そっくりの機械の体に自分そっくりの思考を持ったいわば超最新版スワンプマンができたとしたら──それは私なのだろうか。
何を私だと決めるものになるのだろうか、あなたは何を根拠にあなたであると言えるのだろうか。