2025 2Q 制作ノート 岩前皓太


作成日:2025.08.19

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導入

見る/見られるという関係性に先立って、見ることと見られることの双方を半ば強制する認知的動作に注目する。本作は、「見ること」と「見られること」に伴う強制性や不快感、すなわち鑑賞に潜む暴力性を、ディスプレイを見ることに付随させる装置を通して可視化する試みである。ここでいう暴力性とは、感覚や注意を物理的・心理的に拘束し、観者の身体性と交差しながら関係を規定する機構である。コミュニケーションが時に他者への介入や抑圧を内包することを示すと同時に、装置そのものが権力的作用を行使する場として機能する様相を描き出す。

制作背景

本作の制作背景には、現代社会における視覚的コミュニケーションの強制性と、視線がもたらす権力作用への問題意識がある。監視カメラやディスプレイ広告、SNSの可視化文化など、日常生活は「見ること」と「見られること」の双方向的な拘束によって構成されている。この構造は、メディア技術が単なる情報伝達の道具ではなく、身体や感覚を支配・規定する暴力装置として機能している現実を示している。本作は、こうした状況を批評的に抽出し、鑑賞という行為自体が内包する暴力性を顕在化させるために制作した。

作品概要

箱型装置の内部に設置されたディスプレイには、インターネット上から収集した寝転びの画像が映し出される。観者は箱の中に入り、その映像を鑑賞するが、内部にはウェブカメラが設置されており、鑑賞中の姿が撮影される。その映像は会場入口付近のPCモニターにリアルタイムで映し出され、来場者の視線にさらされる構造となっている。


本作は、観者が自ら進んで「見る」行為に入った瞬間、その身体が「見られる」立場へと転換する構造を内包している。ディスプレイは単なる映像表示機ではなく、感覚や注意を拘束し、身体性と交差しながら関係を規定する暴力装置として機能する。こうした仕組みを通じて、本作は鑑賞という行為に潜む強制性や不快感を顕在化させ、視覚的コミュニケーションが時に他者への介入や抑圧を伴うことを批評的に提示する。

フィードバックまとめ

今回のフィードバックでは、作品が提示する「見る/見られる」という関係性に内在する強制性と不快感が改めて検討され、その構造を「暴力装置」として捉える視点が共有された。特に、ディスプレイが感覚や注意を拘束し、観者の身体性と交差する機構として機能する点が強調された。
また、MRIや人間ドックなど医療検査装置における身体拘束や環境的制御との比較が行われ、これらが心理的圧迫や制度的支配のメタファーとして有効であることが確認された。展示空間内での装置間の関係性についても議論があり、特に会場入口付近に設置されたPCモニターと箱型装置を別物として捉えてしまう認識が見られたため、鑑賞体験の循環的関係性を生み出していることを示唆する必要があるとされた。さらに、作品の物理的構造に「座れる家具的要素」の可能性が指摘され、鑑賞者の身体姿勢や滞在時間をコントロールする新たな視覚的・身体的強制の方法として検討する方向性が示された。最後に、暴力性の定義については物理的領域にとどまらず、感覚的・制度的・象徴的暴力を含む広義の概念として扱う必要性が議題化された。

今後の展望

本作を起点に、今後は映像と物質、さらには視覚構造の関係性をより多層的に組み込む。観者の動きや視線が映像の変容に直結する仕組みを導入し、「見る/見られる」構造を実時間で反転・増幅させる試みを行う。また、素材や構造面では箱型の枠組みにとどまらず、空間全体や建築要素へと展開し、鑑賞行為そのものを強制的に経験させる装置としてのスケールアップを図る。これにより、単なる視覚表現を超えて、より鮮明な批評性を帯びた作品へと進化させることを目指す。



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