音楽を聴く際、ボーカルを一つの音として聴いていて、歌詞の内容が頭に入っていきていないことが多い私。音楽番組などで文字に起こされた歌詞を見て初めて、「あ、こんなこと歌ってたんだ…」と気づくことも少なくありません。異なる国の言語を用いるK-POPや歌詞が聴き取りづらいものも多いボカロを好んで聴いてきた弊害なんでしょうか…(笑)

 ここでは、そんな私が個人的に刺さった印象的な歌詞の楽曲をご紹介。セルフ日本語曲縛りを科してお送りします。


syudou「笑え」/「恥さらし」

 個人的に歌詞の言葉選びが好きなボカロP/アーティストの1人です。syudouさんの楽曲は、ボーカルがご本人であるかボーカロイドであるかに関わらず、曲ごとに世界観や歌詞の主人公となる特定のキャラクター(人物)が存在することが多いのですが、この2曲は「syudouさん自身として歌っている」という感じが強くある楽曲です。(1曲に絞れませんでした)

 「歌詞」や「音楽」、「歌(ソング)」、「音」、「鳴らす」など、音楽にまつわるワードがたくさん出てくるというのがこの2曲の共通点。アーティスト、ミュージシャンとしての本音のようなものが詰まっている感じがします。

 syudouさんの楽曲には攻撃力の高い鋭利な歌詞も多いのですが、その分この2曲は歌詞から漂うあたたかさが際立って感じられます。おそらく実際のエピソードを踏まえて作られていたり、例えば「乗った終電の向かう先がどうも反対で」など、日常に寄り添った表現が多かったりと、歌詞がすごく身近に感じられます。

“オーベイベー でも分かってくれ「これだけ」なんて格好良くはないが
オーベイベー 「これがある」と強く信じ続けているんだ”        「笑え」より
”生きるのはあまりに恥ずかしいが
その恥をあなたと笑いたいんだ”     「恥さらし」より

 自分と同じように必死に生きている1人の人間であるということを噛み締めると同時に、聴き手が勝手に引いている、アーティストとリスナーの間の境界線(あっち側とこっち側では世界が違うみたいな線引き)のようなものを踏み越えてくる感じがする。
マンガの主人公みたいに完璧ではないけど、人間味と現実味のある血の通ったカッコよさがあります。

“比べりゃあまりに情けないが
比べなきゃそこそこ誇れるんだ
誇れなくたって別に構わない
今日飲んだ酒がうまかったらいいし
美味くなくたって究極構わない
図々しくダラっと生きてりゃ良いんだ”      「恥さらし」より

自分を信じ切れるほど強くもなく、何でもできるような天才でもない。不完全な人間らしさを曝け出し、寄り添いながら励ましてくれるような言葉が私に刺さった歌詞でした。自分に対してとことんネガティブな思考を持っている私にとって、生きていく中で勝手に背負い込んでいた肩の荷がスッと降りるような、「どんなことがあってもどうせそれなりに生きていくんだろうな」、「このくらいでいいんだ」と息を抜いて、自然と視線をあげさせてくれるような楽曲たちです。


ツミキ「シャットダウン・シティ 」
 

百聞は一見にしかずということで、この曲は一旦歌詞を見ていただきましょう。

 この楽曲は、上記の歌詞が繰り返される構成になっています。
まず、1段落目は「a」と「e」、3段落目は「a」と「i」と、2つの母音の組み合わせのみを用いた歌詞になっているんです(2進法を意識されているとか)。
歌詞に合わせて自分で口を動かしながら、母音二つだけでこんなに流暢な日本語が出来上がるのか、こんなに豊かな表現ができるのか…と思わず目を見張ります。

 そして2段落目、サビにあたると思われる箇所は歌詞がほぼひらがなになっていて、ただ聴くのと見ながら聴くのでは得られる印象が変わるのも特徴です。2進法を意識した歌詞や、ボーカロイドによる“機械っぽさ”が感じられる歌い回しもあるなかで、2段落目に唯一用いられている漢字が「愛」であるというところにも深読みの余地がありそう…。

 他にもこの方の楽曲では、歌詞を見ると一行の文字数が同じで文字列がピシッと揃っていたり、1つのフレーズに複数の意味や読み方を持たせたり、言葉遊びの域を越えそうなくらい秀逸な作り込みがされています。きっと頭がいいんだろうなあ…という、いかにも頭の悪そうな感想しか出てきません…。0から1を創り出せる人の偉大さを感じます。


春野「深昏睡」
 

 「深昏睡」とは、意識がなく、自発呼吸もない状態のこと。人工呼吸器なしでは生存することができず、脳死の判定基準の一つとなっているそう。
歌詞から得られる情報量が多くない分、聴き手の想像力が試される。タイトルや歌詞の抽象的な部分を結びつけて、どこまでも深読みできてしまいます。

 歌詞には水に関する単語や漢字(雨、傘、泣、潰、水槽、溢、など)が多く使われており、全体的に仄暗い、くすんだような印象を受けました。
サウンドや言葉からくる心地よい重さ。優しく包み込まれ、この4分間は時の流れがゆっくりになるような気さえしてきます。

“分からないままで言った
「此処はそんなに寒くは無いから」
忘れた声は ねえこんなだっけ
潰れた視界なら此処もきっと 幸せであれるから”

 人が人を忘れるとき、一番初めに失われる記憶は「声」なんだそう。忘れかけてはいるけれど、おぼろげな記憶すらも掘り返して思い出してしまう…みたいな、他者の存在に縋ってしまっているような様は切ないものですね。

“はっとした雨だって 置いていった傘だって
世界はあなたを救わないから
それなら此処で安心してもいい
きっと とうにお終いで 泣いてしまったことだって
全部抱えて落ちてあげるよ
最後まで離さないでいて
もう心は無いけれど”

 「世界はあなたを救わないから」というのが、この楽曲の歌詞で特に好きなフレーズ。文字に起こすとこんなにも残酷なのに、メロディーと春野さんの歌声に乗っかるとどうしてこんなにも優しく聞こえてしまうのでしょうか…。

 「全部抱えて落ちてあげる」という言葉から包容力や度量の広さ、おおらかさが感じられますが、失うものが何も無いからこそ一周回って逆に最強、みたいな無双状態のような雰囲気もあって。「最後まで離さないで」という反面、「もう心は無いけれど」と最後に言い捨てる感じから、結局は感情が冷めてしまっているようにも見えます。
どこか物悲しい雰囲気も漂う楽曲ですが、サウンドや歌声で歌詞の重さが中和され、シーンを問わず聴きたくなる楽曲です。