「出町座」。京都の出町桝形商店街の中にある映画×カフェ×書店の複合施設。『Barbie』も『ロマンチック金銭感覚』も、ありとあらゆる魅力的な映画を上映する場所だ。規模はそんなに大きくないものの、1Fにはたくさんの本やグッズが並び、カフェも併設されている。トークイベントや舞台挨拶も頻繁に行われ、いつ訪れても楽しい空間だ。映画のチケットとカフェの食券は券売機で購入するという、なんともワクワクする仕組みで、券売機には「ただいまのおすすめ」や「注意書き」などが貼られている。ちなみに、私が「RRR」を観にここ「出町座」にきた時は、“音デカ上映、注意”的なことが書かれてて、とっても面白く思ったことを思い出した。上映はまさに音デカデカ上映で迫力満点だった。

そんな「出町座」の番組編成担当者である田中誠一さんにいままでのこと、そしてこれからのことについてお話を伺った。

──出町座としてこの場所にオープンしてから6年。コロナなどの出来事も含め、オープンから今まで振り返ってみてどうでしたか?

「もうそんなになるんですね。変化はたくさんあります。でも世の中自体がすごく大きく変わっているので、大変だけどやっぱりフィットしていかなくてはいけないんだとは思ってますね。映画って世界を写す鏡なので。映画がなんで面白いのかっていうと、「世界の今」を反映してるからだと思うんです。それが6年前(オープン時)と今とでは”今”っていうのが全然違う。
今も”コロナ終わり”って言うけど、終わってもとに戻るかというと、そうじゃなくて、もう違うんですよ、コロナ前とは。僕なんかはいい大人になっちゃっているけど、今現役の大学生とかそれより若い世代のみなさんはたくさんのことを経験・吸収できる時期を、すごく制限された時期として過ごしていたんじゃないかと思っていて、それが……今何回生ですか?」

──3回生です。

 「もうがっつりじゃないですか。コロナ禍で学校行けてないとか、高校の卒業式やれてないとか、そっちの方をどうこれからポジティブにしていけるかが重大なような気がしてます。そういう人生一回こっきりの機会っていうのをすごく制限されてしまった人とかに、ほんとは空白じゃないと思うけど、空白的になってしまったその数年を、ウチ(出町座)とかがどういうことをやったら少しでも取り戻した気になってもらえるのかな、とかはこの1年考えてたような気はします。この数年は思い出作ることとかもしにくかったわけで。ここで思い出を作ってもらうみたいなのが、どうやったらできるかなとか想像したりしましたね。出町座の最初の頃から、8月の時期だったらこういうことをやったらいいんかなとか、夏休みだからとか、お盆だからとか、冬だったら、正月だったらコレかなとか、季節ごとに「こういうことが体験できたらいいな」という企画は考えてやってました。けど、19、20歳の年代で今までは体験できたことが、体験できてない人たちが今はいるよなっていうのは、想像の一つに新たに加わってる。それはこの数年での変化だと思います」

混ぜることで浮かび上がる面白さ

──上映される映画がとても幅広いと思うのですが、どう基準で選んでいますか。

 「区別をしないってことですかね。まあ区別というか、例えば世界的な大ヒット作でメジャーな『Barbie』もやるし、京都の北の方で夫婦ふたりで考えて作ったささやかな(けどおもしろい)完全自主映画の『ロマンチック金銭感覚』もやるんです。メジャーもインディーズも古今東西洋画も邦画も同居してるっていうことに意味があると思ってます。勝手に分けんなよって。『Barbie』はチェーンの映画館さんで観ることができるけど、出町座で観るとひとあじ違いますよと。どんな映画かわからないけどなんだか変なタイトルで気になったから観てみたら思いのほかおもしろかった!とか。混ぜた方が面白いと思うんで。「区別をしない」というのは誤解も生みやすい言葉ですけど、たとえば「私は怖いの苦手なのでホラーは観ません」とか「自分はストーリーがないものは嫌いです」とか、人によって趣味嗜好は違うのは当然ですけど、ホラー嫌いな人がたまたま間違って観ちゃって、「意外といけたわ」とかちょっと自分の幅が広がるようなことがあればいいなという意味です。価値観は個々人その人だけのものだから、人にとやかく言われたくないし自分を大事にしたい。けど、ガードを固めて頑強に自分の世界を守っているだけだと自分の幅が広がらない。映画は思いがけなく出会うことで、人の幅を広げられるものだと思うので、出町座では来てくれる人に思いがけない出会いをしてもらうためにいろんなものを同時に提示しておきたいということでしょうか。」



商店街の中にある場所としての想い

──商店街の中にあることで意識していることはありますか。

 「他はちょっと分かんないですけど、ウチはご覧の通り、商店街の一員として地域に接続してるので、地域がよくなっていくことを前提に存在しなきゃいけないっていうのは思ってます。自分とこが儲かればいいんじゃなくて、地域が生き生きするっていうのが1番なんですよ。ウチは繁盛するけど周りのところがしおれていくみたいな、そういうのはダメだと思って最初からやってます。商店街の振興組合の理事として、商店街の運営は携わってますし、その地域でおんなじ軒を連ねて商いをしてる人たちが、共同で、その場を維持して活性化させていくっていうのをやっていかないと、場は成り立たないんやっていうのは絶対です。」

──いろんな世代の人が行き交い混ざり合う空間。その空間デザインや、映画の宣伝など、美術的な部分にとても力が入っているように思います。

 「上映する映画の紹介を手作りで、いろんなかたちで表現する装飾的な作業をするのをわかりやすく「美術部」と言っています。誰が部員で誰が部員じゃないかって決まってないですけど。その時々でやりたい人や手が空いてる人がやる。これまた地域性のたまもので、ありがたいことに美大の子らもいるから、「こんなことやりたいけどできるかな?」「やってみましょか?」という感じで、できる人がいるならやった方がいいじゃないですか。「これはさすがに出来ないかな…」「こうしたらできるかも。やってみます?」みたいな。できる子にお願いするっていうよりは、やりたい人がいて、”これやりたいです” ”ですよね”みたいな。そういう感じです。自分たちも面白くて、お客さんも面白がっていただける感じがいいかなと思ってます。」

──「カルチケ」(カルチケ説明のリンクを貼る)という、日本では珍しいようなサービスも25歳以下という若い世代を対象にしていると聞きました。どういうところから生まれたものなんですか。

 「あれはもう前からやりたかったんです。演劇などの舞台関係や、飲食店などでは国内外でけっこうやってましたし。」

──私にはあんまり馴染みがなかったです。

 「出会えてよかったですね(満面の笑み)。海外留学したらこういう文化と社会のしくみとか、日本とは違う取り組みが多いので、そういうことを知るだけでも、学生さんはとにかく海外に行ったほうがいいと思う。本当にそう思いますよ。僕が学生の頃はカルチケみたいな制度がなくてなんとか安くたくさん映画を観ようとしていたら、いつの間にか映画が生業になっていたんです。で、このカルチケの使い方っていうのも、やってみたらわかったことがたくさんありました。“ラッキー! お金浮いたぜ”ってシンプルに喜んでる人もいれば、“いいんですかね?本当に…”とやや不安そうな人もいれば、“自分が大人になった時に、また若い人たちに返さなきゃな”っていう風に思ってくれる人もいる。受け取り方はそれぞれなんですけど、それでいい。なにより、これからの未来に投資してくださる=映画のチケットを提供してくださる方が思っていたよりもたくさんいて、その方々からウチがお預かりしたチケットを若い人たちに受け渡しているだけなので、ウチの受付カウンターで吊り下がっているカルチケのチケットを見ると、チケットを提供してくれる方々の考えや気持ちがここにぶらさがってるんだなと常々思っています。そういうことが形になって視覚化されているということも、すごく大きなことだと思います。なので、”こういうものが出来ました。それをどううまく使っていきましょうか”と考えることも含めて、未来への投資だと思っています。」

若い世代の人にもっと行動を起こしてほしい ←たぶんここの文言を変えざるをえないと思います。

──私たちの世代に投資をしている、ということなんですね。

 「結局、今までの世代の負の遺産っていうのが皆さんの世代に乗っかってくるのがもう目に見えてるんですよ。もう割と未来確定してるんです。皆さんの両肩にめっちゃ乗っかってきますから、重たいものが。しょうがないんですよ。少子化なんだから。もしかしたらもう全員で潰れてしまうかもしれないっていう世の中にもうなってる。僕は国がすべての学生の奨学金を一回チャラにしてくれないですかね?って思ってます。社会人になっても学生時代の奨学金ローン返済をずっと続けてるわけで、ローン返済のために働かなきゃいけないから、家庭を持つことも、社会人になって何か新しいことをはじめることもしにくい、自由度の低い状況が続いているのが今の日本社会じゃないかと思っているので、この負のスパイラルを脱却するということを一回やれないですかね?それだけでもだいぶいろんなことの未来が見えてくる気がするんですけど、ダメですかね?まぁウチができるのは学生料金1000円をできるだけ維持することと、カルチケ続けることくらいですけど。」

──出町座としての活動を通して、このままでは社会全体が危ないよってことを伝えていらっしゃるんですね。

 「そんな、お恥ずかしい限りで、社会に警鐘をならすような気持ちを込めてるわけではないので、底辺からなんですけど、自分らでできることであればという気持ちでこの出町座をやっています。映画っていうのもコロナ禍明けてからも、特に中小規模のアート系はめちゃ厳しいですけど、色々あるけれども、最大のおっきな要因ていうのは、日本人が貧乏になったということです。お金ないんだもん。映画なんて優先順位低いでしょ。だって週1で映画見に行ってる学生さんがいたとして1週間の1000円(出町座は学生鑑賞料金基本1000円)ってでかいよ?って。週1で映画が見れないっていう現実が、今もうきてるんです。なのに、実際そういうことを誰が報道してるんですかっていうと、僕は知らない。僕らは実感と数字でそう思ってるから、如実にわかってるんですけど。だから劇場がどんだけ番組編成がんばって、“こんないい映画やってますよ”、“こんな面白い映画やってますよ”、“すごい映画やってますよ”って言ったところで、お金持ってない人は来れないんですよ。それで、“なんか面白そうなんやってんな。けど今はやめとこ”って遠い目になっちゃうだけじゃないですか。だからカルチケやるんですよっていう話でもあるんで。お金なくても映画観れるかもって。
なんですけど、日本人が貧乏になってること自体はウチなんかでは解決できない。でもそれを解決しないと場を維持するために必要なだけのお客さんは戻ってこない。だから、“ちょっとがんばってれば、来年再来年風向きが変わるよね”って誰かが言ってたりもするけど、そんなわけないと思ってます。いつまでも貧乏ですよ我々。さらにこれからもっと貧乏になる。さあ困ったぞと。もう滅びるのは確定だと思ってます。滅びの中をどう生きるかっていう問題です。
そうなった時に、やっぱり日本だけの尺度じゃなくて、いろんな尺度があるんだっていうことは、僕も未熟なので知らないこと死ぬほどありますけど、知っていかなきゃいけないと思うし。カルチケみたいな制度っていうのが、海外とか他分野では珍しくないよっていうのは、そういうことにも繋がる。台湾とか韓国とか演劇も盛んだし、いろんな文化が発展していて日本以外のアジア諸国も演劇、音楽、映画、そういうユースカルチャーはめちゃくちゃ元気ですよ。そういうのも、こっちが求めてアンテナを張っていくことでだんだん知れていくじゃないですか。だからそこは視野を持ち続けないと、“自分がなんで苦しいんやろう”とか、“なんでこの世界が暗くなっていくんやろう”って思って、どんどんネガティブな方にしか頭が働かなくなるんです。みんなしんどいですよ。貧乏なんだからしんどいに決まっとるやないかみたいな。僕がが貧乏なのは別にもうええわって思ってますよ。一発逆転して儲けたろうなんて思ってないですけど、思ってないけど、でも今の、少なくとも若い人たちは借金背負ってる。もう借金が確定しちゃってる時点で、まだ社会に飛び立ってないっていう地獄ってなんなんだろうって思うんです。今の働いてる世代ってみんな借金抱えてるんだから。借金返すために生きてるんすかね?うちらは、みたいな。」

──確かに、私たちの代にもネガティブな人が多くて、これから先の未来が明るくなる気がしないから、20代で死にたいって言う子が増えてます。

 「そうですよね。それこそAdoの「うっせぇわ」みたいな歌がヒットするのってまさしくそういうことじゃないですか。それを”若い子らの流行り”とか”ワンピースの主題歌良かったね”とかそういう話じゃないですよ。ギリギリというか、もうリミット超えてる感っていうのを、結局上の世代は問題にしないっていうのはあるんじゃないかと思ってます。全然わかってないって思うし、世界に対するいらだちや絶望みたいなものが無限に広がっている状況に危機感を持つのは大人だろ?っていう話なんだけど、どうやったらお金になるかなっていう考えにいっちゃうから。そこが問題なんじゃないかなと思います。」

──面白いお話をたくさん、ありがとうございました。最後に、田中さんが若いうちにご覧になった映画で、若い頃に観ておいてよかったと思える映画を教えていただけますか。

 「う〜ん……やっぱりリュミエール(兄弟の手がけた作品)になるのかもしれないですね。今の若い人たちが思ってる”映画”と違うところもたくさんあるかもしれないけど、やっぱり映画ってこうなんだっていう確認にもなるっていうか。その100年以上前の時代、映画の定義なんて何もなくて、でも物理的に制限があるから出来ることは限られている、というおおらかなシネマトグラフの作品をず〜っと観てるとそれは実はめちゃくちゃ自由だったりするので、その自由さっていうのがあったから、映画は今日まで発展したのだと言える気がするっていうか。さっきのカルチケの話で、ごく簡単なルールなんだけどそれを守らない人が出てきたとして、そのイレギュラーな存在のためにルールを上塗りしてしまうと、システムとして重くなっていって窮屈になって使いづらくなっていくっていうことはしたくないんです。ある程度自由じゃないと人間てダメなんですよ。だから出町座という存在も全般的に、いかにゆるく自由に持続できるかみたいなとこはあると思いますね……ていうのは、リュミエール(兄弟)のシネマトグラフを観てると思います。一番最初の映画っぽいやつか〜別に観なくてもいいかって思う人もいるような気がしますけど、そこに全てが実はあったような気がします。どれだけテクノロジーが発達したとしても最初の原理は変わらないので。」