動物パニック映画の真髄

ホラー映画といえば、黎明期のものだと『カリガリ博士』(1920年)、『オペラ座の怪人』(1925年)、そこまで古くなくても『サスペリア』(1977年)、『エクソシスト』(1973年)、『オーメン』(1976年)、『シャイニング』(1980年)はこの道の金字塔として高く評価されている。あるいは『13日の金曜日』シリーズのようなスラッシャー系も世代を超えて今なお人気が高い。
そうした多様なホラー映画の中でも一部熱狂的な支持を集めているのが「動物パニック」系だ。これは人間以外の動物・生物・生命体が次々と人間を襲うという、実生活ではあまり考えられないシチュエーションからジワジワと人類が追い詰められていく様子が描かれたもの。現実的に起こり得るものあるが、ほとんどがあまりに荒唐無稽なので笑って見ている人も少なくないだろう。
そのオリジネイター的作品は、ヒッチコック監督による『鳥』(1963年)とされているが、実際には1940年に作られた『デビルバット』(コウモリ)を先駆けに、『黒い絨毯』(アリ)、『怪物の花嫁』(タコ)、『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』(クモ)、『世界終末の序曲』(バッタ)など1950年代には既に多くの動物をモチーフとするパニック映画が制作されている。そして70年代にはスピルバーグ監督の『ジョーズ』(サメ)を一大ブームを迎えることとなった。『燃える昆虫軍団』(ゴキブリ)、『スクワーム』(ミミズ)などは荒唐無稽の極みだが、逆に荒唐無稽になればなるほど面白い。筆者はトビウオが海から陸に向かって飛んできて人間に噛みつくという、どう考えてもありえない『殺人魚フライングキラー』が特に好きだ。
動物パニック映画はすべての生命体の中で人類がその頂点にいるという“人間の驕り”を戒めるためにある、という解釈はたぶん間違っていない。本来は山に生きる熊が飢えに苦しんで殺人熊に変貌する『グリズリー』、下水道に捨てられたペットのワニが現れる『アリゲーター』などは今の時代にはむしろリアリティがありすぎるくらいで、人類による自然破壊によって野生動物の生態系が崩れてしまっていることへの警鐘であると言ってもいいだろう。
さらにいうなら、人間が苦手とする爬虫類、両生類、虫が人類の敵になる(ことが多い)という設定は、本来すべての生命体に均等に接することの大切さを伝えているようにも思える。犬猫ウサギは可愛いと思えるけど、大抵の人間はゴキブリ、クモ、バッタなどは苦手だ。困ったことに「怖い・嫌い」はどうしても「敵・かたき」という認識となっていく。その関係性がベースとなった動物パニック映画は、「嫌いなものを排除する」感覚の是非を問うものでもあるのではないだろか。嫌いだから、苦手だからというだけで攻撃することの理不尽さを、映画の中で人間を追い詰める動物たちは訴えているのかもしれない。
そういう意味でも、残念ながら現在はあまり見かけなくなった動物パニック映画だが、今こそ制作されるべきではないかと思う。少なくとも私は、台所でゴキブリが出たら殺虫剤で追いかけ回すことをまずやめてみよう、ゴキブリと遭遇しないようなるべく清潔にしていよう、という気になるのである。(岡村詩野)